上条村と下条村

上条村(現 富士宮市上条)と、下条村(現 富士宮市下条)は、江戸時代~明治初期~明治22年まで存在していた、現在の上野地域の自治体の一つ。

中世、上野地域は「上野郷」(駿河国富士上方上野郷)と呼ばれた地域。

下条の地名が初めて文献に登場するのは、慶長4年(1599年)、「大宮司富士通信文書」で、その中に「中条 新七郎」「下条 助兵衛」などが公文書として記されています。

現在はありませんが、当時は上条と下条の間に『中条』もあった可能性があります。

伊豆国南条郷との関連性

なお、上野郷の地頭、南条時光の父、南条兵衛七郎は、元々伊豆国南条郷の地頭です。
現在の伊豆の国市(旧 田方郡韮山町)、伊豆長岡駅のあたりが「伊豆の国市南條」となっており、その上に「伊豆の国市中條」があります。

伊豆長岡駅前の南條交差点

そのすぐ上は、源頼朝挙兵の地、守山八幡宮(伊豆国北条郷)があります。南条郷から上野郷に転任となった南条家が、この伊豆国での、地名の命名にならって、上野地区の上条、下条などの地名をつけたとも推定されます。この見解は、「富士宮ふるさと再発見」(遠藤秀男・著)にも記され、おおよそ、そのような思惑があったのではと考えられます。