旧地名を大事にしたい

富士宮市のが北部四ヶ村と合併した際、上野や白糸、という地名が消えたのと同様に、富士宮の市街地にも、昔からあった情緒ある名前が次々と姿を消し、西町、東町、中央町、北町、、、といった形で寂しい形になった。

例えば、大宮青柳町、大宮連雀町、大宮神田町、大宮仲宿町、伝馬町、福住町、松山町etc…他にも多数あるが、戦前からのその地域を表すような情緒ある象徴的な町名がたくさんあったのに・・・と惜しい気持ちでいたたまれない。しかし、それらの一部は秋祭りの地区名で残っていたり、バスの停留所の名前に姿をかえ、脈々と残っているところもいくつかあるが、事例はほんとうに限られてくる。

そもそも、富士宮は富士宮市ではなく、大宮市になることを目指していたが、埼玉に同名の市ができていたことから断念し、富士山本宮浅間神社に由来する「富士の大宮=富士宮=ふじのみや」ということで富士宮市として命名された歴史を持っている。もちろん、富士宮という名称は由緒ある素晴らしい言葉・響きなのでそれを否定するものではない。

しかし、今では大宮の名前は、現在の富士宮神田通り商店街の一部である狭い町域に「大宮町」として残っているだけで、それ以上の活用も展開もないことは寂しいと感じるのも率直な事実である。

栄えるまちは、文化も栄える。
文化のないまちは、心の豊かさにかけてしまう。

今からでも遅くない。
よりよい文化、情緒が醸成される、新時代の新たな富士宮を創造できればと思う。

芝川も住所表記から消えた

★追記その1
2010年3月23日 富士宮市と芝川町が合併した。
芝川も上野や白糸と同様に、芝川という地名が住所欄から消えてしまい惜しまれる声が多く聞かれる。

合併前の村の合併前の(ややこし)村名は残っている

★追記その2
2013年春に記す。ただ、改めて経緯を見なおしてみると、上野村は元々、下条村、上条村、精進川村、馬見塚村が合併して出来たものであった。白糸村も同様に、内野村、佐折村、原村、半野村、狩宿村が合併して成立した歴史を持っている。

芝川も、羽鮒村、長貫村、西山村、大久保村、鳥並村、内房村、大鹿村、猫沢村、上柚野村、下柚野村、上稲子村、下稲子村など、改称したところもあり全てではないが、旧村名の大半が現在の住所になっている。

その富士宮市との合併前の村名は存続していないが、合併前の各村の合併前(ややこしいな)の村名は、大半がほぼそのまま現在の住所名で存続している事は興味深い。