南条時光の出自

南条時光(七郎二郎)は正元元年(1259年) – 元弘2年/正慶元年5月1日(1332年5月25日)は、鎌倉時代後期の武将で、駿河国上野郷(現在の静岡県富士宮市上野地区)の地頭。
非常に信心深く、身延山から日興上人が下山した際にも手厚く支援し、大石寺の開基檀那ともなった。

上野殿、上野賢人殿とも称された。

父親が南条兵衛七郎という、伊豆国南条郷(現在の静岡県伊豆の国市の韮山付近)の地頭で、上野郷の地頭に転任になりこの地での南条家の系譜が誕生した。南条七郎二郎時光、という名前が表すように、南条時光は次男であったが、兄である南条七郎太郎が18歳の若さで亡くなったため、兄に代わりわずか7歳で家督を相続することとなった。(兄の死因は、事故か事件かのいずれかは不明だが、結果として井戸に転落したことによる水死である記録が残されている)

下記の富士五山のうち、大石寺と、妙蓮寺が南条時光の寄進によるもの。カッコ書きは2015年現在の宗派。

  • 上条大石寺(日蓮正宗)
  • 北山本門寺(日蓮宗)
  • 西山本門寺(単立・法華宗興門流)
  • 小泉久遠寺(日蓮宗)
  • 下条妙蓮寺(日蓮正宗)

また、
下之坊(日蓮正宗)
も、南条時光による開基の寺院である。

上野郷の地頭・または地頭職にあったと考えられる人物

  1. 南条兵衛七郎
  2. 南条七郎二郎時光
  3. 南条高光(南条時光の長男・太郎の子)
    ※上野郷の地頭については十分な調査・研究・追補が必要と考えられる為、研究継続中である。

上野地区の地名への影響

上野地区は上条、下条、馬見塚、精進川の四地区から成っているが、上条と下条は、南条家が伊豆国南条郷での地名の名付けにならって命名したと考えられている。(伊豆の国市、伊豆長岡駅あたりは現在も伊豆の国市南條であり、また、そのすぐ北隣は伊豆の国市中條となっている)

古文書によると、上野地区には「中条」と呼ばれた中間のエリアもあったことが読み取れるが、現在では中条の名残があるような地名・小字は残っていないようである。

近代のエピソード

ちなみに下之坊そばの富士急静岡バスのバス停、「坂上南条入口」の名称は、この南条家が由来となっています。

坂上南条バス停

富士急静岡バス 坂上南条入口バス停(2021年撮影)

なお、老朽化が著しかった坂上南条入り口バス停の古い待合建屋は、2022年秋に解体され、更地となりました。

バス停の待合建屋は2022年解体されて更地に

上野で活動している太鼓演奏団体「南条太鼓」も同様である。2010年以降は、南条の里の会が設立され、南条氏に敬意を表しつつ、地域貢献活動を行っている。

南条家の墓所

墓所は下条宮の前(妙蓮寺の南西1kmあたり)にあり、昭和37年に石塔が建立されました。


富士急静岡バス 坂上南条のバス停そばには上野殿墓所入り口の石塔が建立されています。

父・南条兵衛七郎と、母尼の石塔もあわせて建立されていますが、元々同じ場所に埋葬されたわけではなく、後から移設された可能性が高いと言われています。

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上野殿御墓所 碑

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南条時光と父母の墓所

入り口には「上野殿御墓所」の石塔が建っています。

時光の兄、南条七郎太郎の墓は東下条の地にある。前述の通り18歳で亡くなった。墓標も判読が難しくなり、左手前に新しく「南条時光公兄七郎太郎 行忍墓」の墓標が建てられている。

南条七郎太郎の墓所