史跡名勝天然記念物にも指定されている、富士宮市上野地区、上条にある配石遺構を中心とした遺跡。標高398メートル、北から南に延びる千居丘陵のほぼ中央部に位置する。ストーンサークルについては諸説があるが、この地が富士山周辺の地域ということから富士信仰とのためとされる。
◆文化遺産オンラインより引用
富士山の西南麓のなだらかな裾野に立地する繩文時代中期の集落跡および配石遺構を主体とする遺跡である。集落跡は径約50メートルの大環状をなす20余棟の円形竪穴住居跡からなっている。住居跡は径7.3メートルから3メートルまでの大きさで、重複したものもある。配石遺構は人頭大の石を運んで構築したものである。長さ約40メートルの直線状および弧状の帯状組石があり、この内外に環状配石、主体配石等が配置され、一部に石棒等も用いられている。この遺跡はいわゆる配石遺構のうちでも大規模なものであり、集落跡と複合して全貌が調査された点で学問的にも貴重なものである。
第一次発掘調査(試掘)
古くから存在は知られていたが、昭和45年5月、地元高校を中心としたチーム(富士宮北高等学校・富士宮東高等学校の郷土研究部員、教員、遠藤秀男氏ら)の一部試掘により敷石や石斧などが発見・確認された。
第二次発掘調査(正式発掘)
上記の試掘の結果を受けて、昭和45~46年の第二次発掘調査により、 大規模な配石遺構や環状の住居跡が発見された。昭和50年に史跡に指定された。