上野小学校は、富士山のふもと、富士宮市の北西部に位置し、学校のまわりにはのどかな田園風景が広がっています。
平成21年7月新校舎が完成しました。(上記写真)
平成23.24年度には、文部科学省・静岡県教育委員会・富士宮市教育委員会より道徳教育総合推進事業の研究指定を受け、研究発表会を行いました。
連絡先
静岡県富士宮市下条408
電話:0544-58-0020 FAX:0544-58-7143
http://www.fujinomiya-shizuoka.ed.jp/e-school/17ueno/
上野小学校の校歌
1.きよらかに ふようのみねの かげうつし
いずみながるる おかのうえ
とおきれきしを うけつぎて
わかきいのちを すこやかに
のびゆく上野小学校
1番のみ掲載
上野小学校の歴史
- 明治06年12月:地域住民による「学校設立之義ニ付申上書」が出される。
- 明治07年04月5日:下条村、日蓮宗妙蓮寺の庫裏に「芙蓉館(下条)」が設立される。(この時点ではいわゆる私立扱い)
- 明治07年12月19日:正式に開学願いを文部省に提出。
- 明治08年01月08日:芙蓉館が正式に文部省から開学許可。
- 明治08年04月08日:上条村に、観成洞(上条村大石寺塔中久成坊)を分離設立。
- 明治08年04月08日:精進川村に、精進舎(精進川村)を分離設立。(明治10年12月には立派な洋風三階建ての校舎を建設)古い写真だが、中央の塔部分から洋風の雰囲気が見て取れる。
- 明治11年(または12年)8月21日:観成洞が芙蓉館に再び統合。(富士宮市史270頁の記述と531頁の表で年の記述相違が見られるため、年数を併記した)
- 明治14年02月:芙蓉館が東光寺と日吉神社の2教場に移転。3教場が併設となった。
- 明治18年04月04日:分散していた各教場(東光寺・日吉神社・精進舎)が合併統合し、再び芙蓉館に集約される。
- 明治19年11月11日:上條尋常小学校に改称
- 明治20年04月04日:上野尋常小学校に改称
- 明治26年12月12日:上野尋常高等小学校に改称
- 大正7年10月15日:第二校舎を新築
- 大正12年9月1日:第三・第四校舎を新築
- 大正13年:第五校舎を新築
- 昭和4年8月1日:講堂建設・落成式
- 昭和11年2月29日(2.26事件の3日後)火災発生
第一・第二・第五校舎および東側トイレ消失。 - 昭和11年10月20日 保険金と寄付金をあわせて新校舎を再建・落成
- 昭和16年04月01日:上野村国民学校に改称
- 昭和22年04月01日:上野村立上野小学校に改称(中学校と校舎併用)
- 昭和26年4月1日:上野中学校開校により3教室分が中学校校地へ移転
- 昭和33年3月21日:二階建て鉄筋 四教室校舎新築
- 昭和33年04月01日:富士宮市立上野小学校に改称(富士宮市との合併に伴う改称)
- 昭和35年5月2日:給食室新築
- 昭和45年5月20日:鉄筋コンクリート三階建の新校舎新築・落成(総工費7150万円)
- 昭和49年3月25日:体育館建設
- 平成21年7月:新校舎が完成
- 平成22年3月グラウンド全面整備
- 平成24年3月プールの改修整備
- 令和2年3月13日を最終工期として上野小学校を含む、富士宮市内小・中学校35校へのエアコンの設置が全て完了。
※なお、当初の芙蓉館の設立の年月については、富士郡誌、上野村誌において記述の相違が見られるようである。富士宮市史下巻257頁にも「6~7年に記述無く明治8年に3校(芙蓉館・観成洞・精進舎)並列してみえるから、芙蓉館の設立をいつとするかなかなかむずかしいことになる。」と記されています。
精進舎の跡地
精進舎のあった、精進川浅間神社の石碑
富士宮市の歩く博物館Bコースにも入っており、紹介されている。
精進川浅間神社は、上記の紹介の通り、浅間神・八幡神・熊野神が合祀されている、特殊な歴史を持つ神社である。
★写真は上野地区在住のOさんより提供頂きました。(2018年8月12日)ありがとうございます。
ロケ地として
平成21年に新校舎に建て変わる解体前、映画「死のぞこないの青」のロケ地として利用され、ロケ中は主演の須賀健太や城田優などの有名芸能人が訪れ、撮影自体は話題になりました。
2007年夏に撮影され、秋に完成して2008年8月30日に公開されました。
ただ、作品が「学園ホラー」がテーマであったこと、ストーリーが難解であったこと、教師役が生徒をいじめたり言葉巧みに陥れるような陰湿なシーンも多く、内外ともに評価はかんばしくなかったのが、少々残念でありました。
サムネール写真はAmazonより引用しました。