平成25年6月22日以来富士宮市はじめ、近隣市町村は連日、富士山絡みの報道のラッシュです。世界文化遺産登録を機に、地域の魅力再発見、文化歴史の発信など、あらゆる事を見直す良いチャンスであると思います。それには、今回の登録が、「富士山」ではなく「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」という点であることの意味を、改めて考える必要があるでしょう。
この地の繁栄は信仰と不可分です。古来の富士信仰はもとより、富士山本宮浅間大社と、その一体に形成された門前町、楽市など、大きく賑わい、たくさんの人が往来しました。楽市楽座といえば、織田信長が頭に浮かびますが、その信長の政策に影響を与えたのが、1560年代の、今川氏真の「富士大宮六度市」とも言われています。
当時その発令を受けて実施にあたったのが、大宮城の当主、富士信忠です。今川家の家臣でもあり、富士山本宮浅間大社の大宮司を何百年もの間務めてきた富士大宮司家の第30代当主でもあります。富士大宮司家は江戸幕末、第44代当主の富士重本の代まで続きましたが、戊辰戦争や箱館戦争など、明治の大きな時代の変化の中で、世襲は途絶えました。 しかし、富士氏の歴史と、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、今川家、武田信玄、徳川家康など、名だたる武将とのエピソードは枚挙に暇がありません。