1792年ごろから、小泉・上井出・青木・上条・上中里・淀師などに強盗が相次ぎ始めた。

これを契機に、1800年頃までには、富士郡北部43村(44村とも)を6組に分けて防犯体制が整備された。(明治まで続いた)