安政2年、1855年に起きた水争いに起因する人質事件。

上野地区の主要用水「大堰用水」(おおせぎようすい)は、上条・下条・馬見塚・青木・青木寄合村の5ヵ村で利用していた。

日常から水争いが絶えなかったため、水番人をおいていたが、上条村が不当に堰を作ったことで下流の水が少なくなってしまった。

これに怒った下流の村の百姓が堰を壊した所、上条村の役人が青木村の百姓2人を召し捕って人質にした。

この事件以降、万が一の事も考え、自衛手段として下流村で貯水池を作ったのが、現在も青木に残る貯水池「水久保(水窪)」(安政4年完成)である。